お久しぶりに更新。
8/7に内田眞由美ちゃんがAKBからの卒業を発表しました。
といっても、そろそろだろうなあという感じはしてて、IWA関係のしがらみがなければ多分今年か来年にはするんだろうなとは思っていたのでショックとかは別にないわけで。
ともちゃん卒業の時みたいなメシも食えずにフラフラになることはなくw 普通にお盆休みを満喫しておりました。
と、いう訳でそんなに急いで書く必要もなかったんだけど、卒業公演前にいろいろ振り返って懐古厨したいなと思ったので、眞由美ちゃんとの思い出を振り返ってみました。
内田を推し始めた時期は皆さん意外に思うかもしれないけど、結構遅いです。シングルで言えばbeginnerくらい。
もちろん研究生の頃から存在は知っていたけど、外見はモロにギャルでピアスあけまくってるし、バンギャだし完全にアイドルじゃないし、どちらかと言うと嫌いなタイプでしたw
優子が総選挙で1位取った時に公演で優子にセンター取りたい!って言ってちょっと面白い子だなあと思ったのと、これは本人には言ったことはないんだけど当時付き合っていた元カノに似ていたこともあり(もちろん似ていると言っても内田と違って← 黒髪で勉強は出来る子だったんだけども)ちょっと1回個別握手会にでも行ってみようかなと思ったのがきっかけ。
その頃、内田がちょうどじゃんけん大会で優勝して、まさにそのタイミングでbeginnerの個別の申し込みやってたんで「優勝してお試ししようってヲタク多くて売り切れちゃうかなー」と思って何を血迷ったか50枚くらい握手券を申し込んで。まあ50枚申し込めば10枚くらい当たるかな!と思ったらまさかの全当選(泣
今でこそ50枚なんてカスみたいなもんだけど当時は結構な枚数でした><
それで、いきなりデビュー戦で50枚突撃。当時は今みたいな部制というよりは○時~X時の間どこでも使える握手券って感じだったのでちょろちょろループ出来たんでまだ良かったけど、内田からしたら「いきなりなんやねん、コイツ」みたいな感じだったと思います。たぶん。
で、実際会ってみるとまあ良くも悪くも普通?で悪い子ではないし、自分が中高の頃好きだったジャンヌを内田も好きで(実際内田の知識はかなりミーハーレベル、基本的に内田の○○が好きはそういう傾向多い。F1好き!→シューマッハしか知らない、みたいな)話も合わないわけじゃなかったんで継続して通おうかなと思いました。
その後、ちょうど優子生誕で仲良くなったびーちょこが内田生誕の人がいないってかなり困ってたんで、まあ手伝いだけならということでいろいろ準備をサポートすることに。今思えばこの安請け合いがその後のをヲタ活を大きく変えた訳ですが・・・・
ちょうど2010の生誕は内田のヲタの入れ替え時期でもあって、昔からのヲタクがいなくなって、びーちょこがTOみたいな感じで古参はらふとさんくらいしかいない。今では信じられませんが当時内田ヲタって残りは若いピンチケが多かったんです。今とは真逆です←
で、その生誕の準備が想像以上にひどくてw ミーティングで中田ちさとの写真集配るアホもいたり←、頼りになるだいふくもきたりえメインだったし、びーちょこも当時学生でそこまで回せる訳もなく、仕事での癖が出てついついいろいろ仕切っちゃうようになり。
その後、生誕以外にも舞台のお花とかいろいろ企画を仕切っていくうちに変に内田に愛着も湧いてきて。好きになるとそれまで見えなかった内田の良さも見えてくる様になりました。本人怒るだろうけど、内田と自分って実は似てるんですね。プライド高くて不器用で口が悪いから誤解されやすい。でも実は根が優しくて真面目なとことか。
あと、いろいろネットでバッシングされるメンバーに自ら絡みに行って世話したりとか。表では見えないそういう内田の人間性が好きになって、優子とかともちゃんの時って結構最初で急上昇的に好きになったんだけど、内田の場合はゆっくりゆっくり好きになっていつの間にか内田ヲタになっちゃってました。
ただどうしても内田だけに100%集中するって訳にもいかず。それはなんでかって言うとやっぱり優子界隈の居心地が良かったんですね。
優子をずっと推してきた訳だし、イッセーさんみたいに尊敬できるヲタクに出会えたし、あっしゅやはなちゃん、翔、MD、はまちゃみたいな今でもヲタク関係なく友人でいられる人たちと出会えて、推しに対する真剣さっていうか哲学が優子ヲタとはシンパシー感じることが多くて楽しかったんだけど、当時の内田ヲタの人達とはそれが出来なかったんですな。びーちょこは地下に流れてしまいましたし。
当時の自分は「この人達は本当に内田眞由美を好きなのかな?」って思ってて周りのヲタクを下に見てたし、他の内田ヲタに壁を作っていたし、そういう態度が傲慢だと思われてたんだろうなあってのは今になれば分かる気がする。
ただまあ当時の自分の人としての器はそんなもんだった訳で。そういう感じになると最早完全に「オレが支えてるんだ」状態になり。フランスに渡った四宮シェフ状態っす><
一方で内田自身も2011-2012前半は燻り続けた期間だったんじゃないかなあって思います。
(本人曰く、ケガ防止のためしょうがなくだったそうですが)秋元Kでのパフォーマンスもだんだん鈍くなってきてたし、ギャル化もどんどん激しくなってきてたし、モバメやブログも適当感出しまくってたし、アムウェ・・・おっと誰かきたようだ。
そういうのに対するイライラを自分も内田自身に向けてしまったこともあったりしました。
こんなショボいヲタクしか付かないのはお前がダメだからだっていう風に。握手会で30分ケンカして最後は内田も逃げてたのは苦い思い出です泣。まあ今ならお互いあんなこともあったねって笑ってられるだろうけど。
内田もそんなオレの面倒くささを感じつつも同時に従順な奴隷のごとく全国どこでも内田の為に遠征してたりした真剣さも感じてくれてたからまだ相手してくれたたのかとは思いますが・・・・><
そして大好きだった秋元チームKも終わり、大島チームKではスタベンになり、かなり内田自身もヲタクもボロボロになっていたのですが、そんな流れが変わったのがちょうどその頃。ムーサのマネージャーがカスから信頼出来る人に変わってフォトブックが出版された頃でしょうか。ムーサがちゃんと力を入れて内田を育ててくれようとしたのを感じられたし、内田も仕事に集中している様に感じられました。
内田のフォトブックは贔屓目なしにAKB関連の書籍で1番クオリティが高くて、内田の新しい「物書き」の才能を感じさせるものでした。
地味でもちゃんと毎日欠かさずブログを書いたりしていたことが、こうやって自分の新しい成功につながる、こういうのはヲタクとして1番嬉しい「成長の過程を見ることができる」ことだと思います。史上最高に気持ち悪いレビューはこちらから←
この頃からの内田の復活具合は本当に凄かった。公演でのキレも戻ってきたし、地方のイオンでドサ周りしたことでトークも磨けたし、『最初の晩餐』みたいな魅力的な舞台も経験で来て演技の才能も感じられたし、顔が晴れやかになっていました。あの時期は内田ヲタやってて1番楽しかった。しかし、イベントでヲタクにドッグフード買いに行かせるアイドルってなんやねん・・・・
んで、そうして迎えた2013総選挙。ぶっちゃけ本番でランクイン出来ることは100%ないと思っていました。当時いたヲタクの勢力を考えてもボーダーラインになるだろうなと思っていた8000票なんて絶対無理。でも<速報なら>イケるんじゃないかっていうのはなんとなく感じていました。ともちゃんが卒業するのは分かっていたので買いまくっていた1000とバンさんの400で合計1400。ボーダーラインはおそらく2000くらい。これならイケるっしょと。
せっかく見せてくれた内田の努力にせめて速報ランクインという形でヲタクから恩返し出来たらなと思って選挙のアドバイスのブログもかなり前広に作って自分なりにベストを尽くしたつもりでした。
ただ結果はご存じのとおりで。ともちゃん卒業発表ショックでまいってた中で票を預けた人が本当に投票したのかという疑惑はあるものの← この結果は結構自分の中でもショックだった。しかも終わってネット見てたら今から100、200入れるという書き込みもチラホラ。・・・アホかと。まあその程度の周知しか出来ていなかった自分の責任なんすけどね。
速報終わった後、握手会で内田に本当に内田が頑張ってたことは知ってるし、今回ランクインできなくて悔しいって話をして内田もまだ頑張るって言ってくれたんだけど、あれは本当に申し訳なかった。内田ヲタとしてはそれなりに後悔はないんだけど、やっぱり1回も名前を呼ばせてあげられなかったことだけは後悔です。
ちょうど選挙も終わって自分もともちゃんの方に流れてしまった。なんでともちゃんに?ってよく言われるんだけど、別に内田が嫌いになった訳では断じてなくて。自分の中では推し変した感じはないんだけどね、っていうとさすがに言い訳がましいんだけど。
もちろんともちゃんにガチ恋拗らせたとかあるけど、ともちゃんは言うて舞台メインなんだから両立なんていくらでもできた訳で。それなのに内田から離れてしまった1番の理由は「疲れちゃった」ってことでした。
正直、あの選挙でランクイン出来なかったことで、自分がこれから内田の為に何をしていいか分かんなくなったし、秋元Kが終わってAKBもどんどんつまんなくなっていくし、また生誕祭仕切るっていうプレッシャーから解放されたかったんですね。
これはね、残念ながら生誕委員長しか分かんない苦しみなんですよ。もちろん自分の名前売りたいだけのカスヲタは除く。
んで、仕切りはながながさんに任せて(何度でもいいますが、オレは最初からバンさんがやるべきだって何言ってましたからね!!・・・・ゆかるんのせいだ><)、隠居的にアドバイスするってポジションになって、ムーサの地方イベントに内田も呼ばれなくなって会う機会は一気になくなって離れてしまったわけで。全握に1回行った時の内田・K林がいたレーンではものすっごい嫌な顔をされて本当に地獄でした泣
その後、小説発売が決まってそれはそれで嬉しかったんだけど、Twitter始めた時に明らかに事務所の許可得てないのは丸わかりだった時に、なんとなく嫌な予感はして、その後金髪になって、Queen of カスのK林とつるむ様になってムーサやめるって言った時に「ああ、内田真由美終わったな・・・・」って思いました。ムーサ裏切るとかカスかよ(実際はそうではないです)って思ったり。
んでムーサ辞めて始めたのが焼肉屋。ええええ!?!?!?って当時は思いました。
絶対続くわけない、変に借金作らされるだけじゃないかって心配しました。
しかしちょうど海外赴任も決まっていたので行く前に顔は出すかなと思ってIWAがオープンした日に行ったのですが、そこにいた内田を見て僕は驚きました。とても晴れ晴れとした顔で仕事をしていた。フォトブックを出した時のような顔。
自分は内田は逃げてワガママでIWAを開いたと思っていたけど、そうじゃないんだ。内田はちゃんと一生懸命仕事に取り組んでいるし、今でも自分を成長させようとしているんだって感じることが出来て、とても嬉しく思いました。
今まで内田はオレの思ってた通りに成長してたんだけど、この時、自分の思ってるレベルを超えてく成長したんだなって。嬉しくもあり、ちょっと寂しくもありw
そんな中で自分も海外勤務になって、Twitterブロック事件←などもありつつゆるりと応援してきました。
年末には一時帰国でIWAでの生誕祭に行ったりもして。そこでしょうもない話ですがちょっと嬉しかったのが、内田が皆にシャンパンついでくれるっていうコーナーがあって、まあ記念にってことで形だけもらいに行ったら、内田が「え?お酒ついで大丈夫なの?」って言ってくれたこと。
自分がアルコールが飲めないっていうこと覚えてくれてたんだってちょっと驚いて、そんなしょうもないこと覚えてくれてたのがなんとなく嬉しくなって。あーこれがオレと内田の時間が生んだ関係だよなって勝手に高まった←
で、日本に帰任してIWAにも行ったりしたのですが・・・・実はまだ帰国してから内田と一言もしゃべってませんw
IWA行った時も忙しくて結局挨拶できなかったし(ここで調子に乗って「いや、内田は当然オレに挨拶に来るだろw」とか調子載ってました。すみません泣)、実はもう8か月弱しゃべってないw
なので次に話せるのが卒業公演かIWAか握手会かは分かりませんが、その時はお疲れ様でしたってことと、お前ならこれから先も大丈夫だよ!ってことを言ってあげたいなと。今の内田なら絶対大丈夫でしょ。小林がいてもブレない!!←
多分AKB卒業した方が後々活躍すると思う。
自分で言うのもアレですが人を見る目は自信あります。会社の人事とか情報なくてもいつも当てるから「なんで分かるの?」って言われることが多いんだけど、いや、なんで分かんないの?っていうのが多い。だってその人の能力なんて見れば分かるじゃないですか、と。そんな自分から見ても内田はきっと成功すると思います。
内田は仕事に対して凄く真剣だし、
(外見パーだけど)真面目だし
(勉強は出来ないけど)地頭はいいし
(痩せれば)ルックスはいいし
(優しくしなくていいやつにも)思いやれる優しさがあって
成功する為に1番大切なひたむきさがある。
ただアイドルだけ向いてなかっただけです泣
高橋みなみじゃないけど、やっぱり努力した人が報われて欲しいですね。
内田とはこれからもずっと仲良くしたいし、
ミュージカル出るなら花出したり見に行ったりしたいし、
結婚する時はご祝儀なんか弾んじゃったりしたいし、
なんかズレてんなーって思ったら「それ違うんじゃね?」とか気兼ねなく言えてTwitterをブロックされてお願いだから解除してください泣
っていう関係でいられたらなって思います。
卒業公演は入れるか分かんないけど、出来れば最後は盛大に送り出してあげたいですね。
っていっても10/25までいるけどw
まだまだ書きたいことや、ネットじゃ書けないことはたくさんあるわけですが、最後の3か月、ちょっとだけあの頃の気持ち思い出して内田ヲタやらせて頂きます!